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Aug 16, 2015

1年ぶりに能登に行って感じた「地方創生」には、まだ「テレビ」が強いと感じた理由


※写真は輪島にあるお寿司屋さん「伸福」です。東京の1/3の値段ですげーうまい寿司が食べれます。イチオシは「のどぐろのあぶり握り」絶妙な脂の乗り方は、確実にトロをも凌ぐ、最高のネタでございます。

久しぶりな能登

1年ぶりに能登に行ってきました。
今回はふつーに働いているから、少し短い滞在になってしまったけど、3年前から毎年通い続けている能登が、少し変わったのでその変化を書いていきたいと思います。

‐ 地方を盛り上げるということ

これは、最近の若い人たちからよく聞く話です。「将来どんなことしたい?」なんて、ことを聞くと意識の高い学生は「地方を盛り上げていきたい」という風なことをよく口にするなと感じます。

これはまさに素晴らしいことで、今はwebもあるし、情報発信も容易になってきている背景もあって未来を感じる意見だと思います。

しかし、結局「web」を見ている人が「地方を盛り上げる」ということになって、それ以外(ここでいうのは基本的にあまりwebを見ない人、テレビからの情報が多い人)の人はあまり響かないんじゃないかなとも感じるわけです。

んで、1年ぶりに能登に行って感じたのは「観光客」の多さでした。
これを何故かと問いただせば「TV効果」であると断言できます。

今NHKの朝ドラで「まれ」という能登を舞台としたドラマをやっているらしいとのことで、見ているわけではないので詳しいことはわからないけれど、以前紹介した辻口氏も関わっていることもあり、パティシエを題材としているとのこと。

街中には「まれ」のポスターが至る所に貼られていて、盛り上がりが見て取れ、北陸新幹線の開通も相まっていい効果を生み出しているんだろうなぁ。と感じました。

‐ 朝ドラ見ているのは誰?

ここで、冒頭に話を少し戻したいなと。
おそらく1番、「朝ドラ」を見ているのは40代〜60代の主婦層なんではないかと感じるんですね。

じゃあ、その層の人たちってwebのニュースとかチェックしてるのか?というと、おそらく答えはNOになるんじゃないかと思います。
それは悪い意味ではなく、そのような世代だからしょうがないわけです。

んで、この層の人たちは比較的時間があって行動できるんじゃないかと。

能登に来ている観光客の層も丁度ここら辺でした。
バスでぐるりと、回っている人たちもこの層。

そして、皆さん「輪島塗」の食器などをよく買っているという。

今の若い層はあまり「伝統工芸品」に興味を持つ人は多くはないので「培ってきた技術」を買ってくれるのはこの層なんですよね。

そう考えると、「今」地方を盛り上げるという観点に立つならば、いわゆる主婦層を巻き込んでなんぼなんじゃないかと思うわけです。

いかにwebで宣伝を行っても、そもそもwebを見ていないのだから意味はないんです。
どこから情報をキャッチするかというとやはりTVは強い。

特に人気の朝ドラのロケ地巡りなんて、主婦層の人たちにとってはたまらないわけですね。

んで、僕が作った造語ですが、NEO主婦層の人たちにがいるわけです。
その定義として、「完全にスマホを使いこなせるわけではないが、ゲームを中心にスマホを使い、Facebook、インスタ、LINEなどは割と上手く使いこなしている」
という感じの人たちをそう定義つけします。

そうすると、このNEO主婦層の人たちが友達に拡散すると他のこの層にいる人たちも感化されて「行きたい」とか「興味がある」というような、心の中に微振動が起こると。

その微振動は、やがて少し大きな揺れとなり周りに伝播していくんではないかと。

‐ 必要なのはNEO主婦層の人たち

そう考えるとです。
結局地方を盛り上げることに対して必要なのはこの層の取り込みだと思うわけです。
海外はよくんかんないから行くのは少し面倒くさい、国内旅行は好きだけど調べるのも面倒だな。
でも、今見ているTVに出ているところならば重い腰をあげていこうかなって思う。
という思いがある人たちが動けば•••と思うわけです。

結局、何が言いたいかって言うとTVはまだ強い。だけど、このNEO主婦層の人達も強い。

ここからweb上に拡散していく可能性もなきにしもあらずなんですね。あいにく、今の若者はそんなにお金を持っているわけではないので、「ではどうするか?」という部分を考えなければならないのかなと思いました。

でもやっぱり、能登は最高でした。
雪が深くなければ、住みたいんだけどなぁ•••。

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Aug 9, 2015

【新潟】大地の芸術祭のお手伝いに参加して

ちょっと前の、7/11,12で、新潟に芸術祭のお手伝いに行ってきました。

何かが生み出される場所には、必ず学びとれることがある。
今回は、そんなお話。

アート

アートというものは僕はよくわからないです。

月に何度か美術館などには行くが心から理解出来た試しは今まであまりない。単純に好きだから行っています。
理由の一部にあるのは、恐らく自分自身にその種の「才能」がないからなんですねー。

写真でも絵でも、「こいつは•••只者じゃねぇ•••!」って人、必ずいるじゃないですか。

でも、自分にはそれがないわけで。なんつーか、半分「羨ましさ」を感じる部分もあります。

僕も最近、写真を始めましたが綺麗な写真はカメラの力で幾らでも取れます。適当に夕焼けが綺麗な場所に行って、設定オートにしてシャター切れば「嗚呼、綺麗な写真だ」というものなら、スキルはなくとも場所を知ってれば撮れるわけで。

でも、ありふれた風景の中で美しい写真はなかなか撮れません。むしろ、今後そんな写真撮れるのか?というレベルです。

でも、そんな環境で凄い一枚を撮ってしまう人がいるのもまた事実。

この日常の一片をこんな形で切り取るんだ。っていう、見てるとこ全然違うわ。っていう感じの。

というわけで、そんな才能を持ち合わせていない僕が、芸術祭の作品作りの手伝い出来んのか•••?という気持ちのまま、新潟へ向かいました。

フィルターは消えた

最初に手伝ったのは「舟を編む」作業。どっかの小説かと思われますが、ガチでそんな感じでした。
藁を使って、舟をひたすら編んでいく。それを何人かのボランティアの人たちが一生懸命作っていました。

その中にはまだ、十代と思わしき男の子の姿も何人か、混じっていました。

よくよく聞くと、その子たちは色々な問題を抱えている子で、「居場所」を探して新潟まで来ているんだということ。

話すとすげーいい奴らで、なんで居場所がないんだろうと思ったわけです。

そして、1日目の作業が終わり宿舎へ。

宿舎は昔学校?だった場所を改装して、寝床にしているような感じで、新潟の酒とビールを買ってボランティアのみんなと混じって色々な話をしました。
台湾とかから来ている人たちも多くてグローバルな感じ、また、他のみんなは割と顔見知りで、何度もボランティアに来ているような人たちが多かったわけです。

本当、いろんな人たちがいました。芸術祭の作品作りを生きがいにしているような人もいて、
僕はみんなのそんな姿を見て、また価値観が少し壊れました気がしました。

単純にすげーって思ったんですよね。こんな生き方もあるんだって。オーストラリアで教わったものが、また日本の新潟に落っこちていて、また大切なモノを拾った気がすげーしました。

会社とか学歴とか、口では関係ないって言ってても、結局フィルターかかって見ちゃうこともあるんだけど、なんか今回の旅でそんなモノが心の中からスッキリカラッと無くなった感じがしました。

んで、みんなと飲んだ後、昼間の連中と田んぼの真ん中の道に寝転んで、流れ星を見て。

こんな空久々に見たなって。

時々通る車のヘッドライトが眩しく感じるほど周りに光はなく、空には星が瞬いている。
そんな、夜空を今日会って少し過ごしただけの「仲間」と一緒に見てる。

なんか、僕はまだなんもやっちゃいないのに、「嗚呼、死ぬならこんな場所がいいな」ってすげー思ったんです。

まだ、少し涼しい初夏の新潟の夜にそんなことを。

その後、線香花火をして、夜は更けていきました。

関係ないことが、新しい何か生む

翌朝は場所が変わり、廃校になった小学校へ。
こんな東京のような街に住んでると、なかなか廃校に入る機会なんてまずなく、それだけで新鮮な体験でした。

その小学校は山の中にあって、「登校するの大変そうだな•••」という感じの場所。
そこの小学校をペンキで白に塗っていく作品でした。

それはスマイルズという企業の作品で、社員の人が一丸となって作品作りをしていました。

いやーいい企業だなって思いました。
こーゆうことやっていくと、やっぱりファンが増えていく。僕は少なからずファンになりました。

どんなこともそうだけど、一見本業と無関係だなって思えることの「点」を結んでいくことで、それが線になって形作られていくんだと。

その線が周りに広がって、事業とはまた無関係なところにあらたな枠を作ることができるんだなと感じます。
だから、本業とはあんま関係ないことをやる。っていう考え方はすげー大事な事だと思います。

それは、生きていく上でもそうだなぁと。

表より、裏側

行って感じたのは、僕は「ストーリーは大事」だと思っています。作品を作る上で、その背景にあるストーリーほど魅力的なものはないんじゃないかと思います。

だから、成功の物語よりその裏側にあるドキュメンタリーみたいなのが好きなんです。

例えば、バンドが全国ツアー回っているステージ上の映像も好きです。けれど、僕が最も感動を覚えるのって、そのステージをどうやって作ってきたか?そこにどんな葛藤があって苦労をしたのか?
という部分です。

それは時に、その作品そのものより価値のあるものになり得るんではないかと。

だからこそ、そんな事を間近で見れた今回の、作品作りは本当にいい経験になりました。

手伝ってきたのはこのイベントです。

大地の芸術祭

http://www.echigo-tsumari.jp/eng/
では、また。

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Jun 29, 2015

オーストラリアから帰国して1年、今感じていること。

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オーストラリアから帰国して、1年が経った。
個人的には、あまり記念日とかそんなことは好きではない。そこにはあまり意味がないからだ。

でも、心に深く刻みこまれている、「 オーストラリア」という経験を、いつも思い出せるように、出発した日と帰国した日には栞を挟んでいる。

あえて、その栞に意味付けをするならば、それは恐らく「旅の途中」という意味になる。まるで読みかけの本に挟むように。

そして、自分の旅はまだ終わっていない。という証でもある。

この1年、多くの変化が自分の周りに訪れた。それは、オーストラリアで受けた変化と同じ位であると僕は思う。

まるでカメレオンのように色を変えて生きてきた、帰国してからの生活をここで一回振り返って見たいと思う。

2014年6月28日 僕は成田空港に降り立った。
まずはじめに買ったのはお~いお茶。150円入れたのに買えなくて、よくよく考えたら消費税が上がっていたんだった。。と半ば浦島太郎状態だった。

久しぶりに見る友人の顔は、出発する前に見た感じとあまり変わらなかった。

友人との再会を繰り返して、思うこと。
それは「還る場所がある」ということ。

幸せなことだと思う。

それから栃木のリフォームをしたり、プールでバイトしたり、日本を旅したり。

人材系の企業に勤めて慣れないデスクワークをする傍ら、ライターの仕事も始めた。
トリポートという媒体だ。

自分は自分が経験していないことは書けないと思う。そして、それは今も変わらない。

自分の経験があるからこそ、文章というのは説得力を持って人に届かせることが出来る。

何本か記事を書いたのち、僕はライターを辞めた。
それは同時に引き出しが枯渇してしまったということもある。

でも、一番の理由は新しいステージに立ちたかった。それに尽きる。

今、僕は「編集者」という仕事に就いた。

出会い

帰国してから、オーストラリア関係の友人や、今まで付き合ったことのない人たちと出会うようになった。

会うために日本各地に行き、酒を酌み交わし、そして話をする。

いろんな人と話をしていくうちに、多角的に物事を見てきたという自負が少しずつ崩壊していった。

それはいい意味での「崩壊」で、もっと物事を色々な面でとらえられるようになってきたんだと思う。
自分の価値観を広げるには、やはり人の話を聞くこと。それが一番だと本当に思う。

実際ネットで情報を得ても、人から聞く話には到底敵わない。僕はネット上で仕事をしているけど、結局人間なんだなと思う。

恐らく、帰国してから今日までの一年は学生時代と同じ位、多く友達が出来た年だった。

それも日本全国に。色んな職種の人が。

そのおかげで、知らない世界が多く開けてきた。

今まで見なかったものや、毛嫌いしていたことも、友達に勧められると見たくなるし、読みたくなるし、やってみたくなる。

そうやって、世界観というものが広がっていくのだと思う。
だから、出会いの数ほど世界が広がると言っても過言ではないんじゃないか。

オーストラリアに行く前、僕は、「自分と似た人」を探して友達になっていた。
空気感とか、好きな物とかがなるべく一緒の人を。

でも、今はちょっと違う。自分と正反対の人と話しても面白いし、違う気づきがある。
今まで見逃していたことが、目に留まるようになる。自分の足らない部分も多く見つかった。

今まで知らない駅を降りると、そこには見たことない風景が広がっている。

その街を知れば、恐らくきっと好きになる。

人と会うことは知らない駅を降りること。

そのためにフットワークは軽く、好奇心旺盛になっていなきゃいけないんだと思う。

そのおかげか、芸術祭にお手伝いに行けたり、シイラ釣りに誘ってもらったり、青山でBBQできたり、写真教えてもらったりと、今までやったことのないことも、そんな世界とも繋がれるようになった。

とりあえずやってみる。

とりあえずやって。あとで修正。それはここ最近なんとなく理解出来始めた。

やる前からあーだこーだ考えて、結局なんもやらん。という風なことが割と今まで多かった。
人から見れば好きなことやっている風に見えてるかもしれないけど、実際自分の中ではまだまだ何も成し遂げていないし、何もやっていない。

考えると、「生きている感覚」が欲しいんだとおもう。

浅瀬で水かけあってるよりも、足つかない深いところで溺れそうになって、ギリギリで帰ってきた方が酒が美味い。

最近、タバコも減らしてランニングとか筋トレとかするようになった。
それは「生きている感覚」が研ぎ澄まされるから。

正直、この何年も運動していなかった身として5km走るのはマジで辛い。
そのあと筋トレすると、翌日には酷い筋肉痛に。。。

でも、最近はそれに「生」感じられる。

結局なにが言いたいかっていうと、オーストラリア行ってからと行く前とでは大きく変わったということ。

そのような変化はきっとこれから先もあるということ。

そして、変わっていかなきゃいけないということ。
変わったからこそ、今の自分がある。

僕は今、刺激的な毎日を過ごしている。

よくワーホリはダメだ!なんてこと書かれているけどそれは間違っていると思う。だって、ワーホリは僕を変えてくれたから。

すこし退屈だった毎日から、エキサイティングな毎日に。

僕を変えてくれたAPLaCの田村さんにはすごく感謝をしている。
そして、一緒に何か起こそうとしている仲間達にも感謝してる。

ちゃんと前に進んでいこう。そして、まだ旅の途中。

おそらくこの旅が終わるのは、死ぬときだ。

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Jun 20, 2015

一眼レフカメラ購入物語

カメラを買いました。
一眼レフです。

人ってわからんもんで、今まであまりカメラに凄い興味があるとかではなく。

とはいえ、オリンパスのペンというミラーレス機を持っていたのでちょこちょこ持ち出してはいたのですが、一眼レフなんてあんな重いもん持てるか!
なんていう気持ちが強く、今までなにがいいのかわからんと思っていたわけです。

NIKONかCanonか

使い古された闘い。誰しもが悩むトコロ。そんな僕はソニーを買おうとしてたんですがいかんせん高い。予算的にフルサイズ機は無理だし、そもそもそこ必要ねぇ•••と思ってました。そこで結局、この二択に陥ったのです。

あらゆるサイトを読みまくる日々。かれこれ半年。
その結果、僕はCanonのがいいかなと思ってました。連写は早い、AFは早い。しかしセンサーは少し時代遅れ。でも今は盛り返してきてるし、Movie撮影もCanonの方が優れている。

余談ですが、海外のサイトの方がマジでレビューをしていて面白かったです。
NIKONとCanonを二つ並べて同じシチュエーションでガチ勝負させていたりとか。
諸々の動画を見てもなんとなくCanon優勢だったんですよねー。

暇な日は実機を見に家電量販店へ。眺める日々が続きました。

そして、最近お金に余裕ができた僕は、「今日買う。なにがあろうとも•••だ!!」と固い決意を元に、Canonを買いにYAMADAに乗り込んだのでした•••。

いざ、決戦の地へ

そして、決意を抱きながらカメラ売り場に。
買う気満々なので最後の確認のために撮りまくる。
店員さんに詰め寄られながらも撮りまくる。
店員さんの顔もアップで撮りまくる。

そこで、距離が短すぎたらシャッターが切れないことを学んだ。

そう。あとはレビューは散々見たので最早、後はどう値切るかを考えるのみ。

しかし、その撮りまくりが僕のCanonを買うという、決意を覆すことになったのです。

よくよく撮りまくっていると「シャター音」が、気になってきました。僕は基本的に厨二病をまだ患っている感は否めないので、シャター音、気になります。

そこで、買おうとしていたCanonの70Dのシャター音が、妙に軽い。
ハシャ!的な音を立てる。
しかし!NIKONは「カシャ」だったのである。

そうです。最後の決め手となったのは「シャター音」でした。

ここで心変わりした僕は、「スペックなんぞ今の時代大して変わらんわい。あとは好みじゃちくしょー!!」と
叫んだのでした。

というわけで、僕はNIKON D7100を購入したのであります。
周りのCanon党からは、「けっ!結局NIKONか!」と罵られ、
周りのNIKON党からは、「ウェルカム!NIKONの世界へ!」と祝福される日々。

皆さんはいかがおすごしでしょうか?

写真は上手いに越したことはない

というわけで、カメラを購入しました。
と、ここから本題。
僕は今までやばい写真には何度か心を揺り動かされたことがあります。

やっぱ、こうやって文字をツラツラ並べているよりも瞬時に感動とか、心に訴えかけるのは写真。やっぱ強いんですよね。
ぱっと見てわかる。っていうのは、本当いいと。

まぁ、本当どんなカメラでもいいと思うんですけど、デジタル一眼レフを買った僕としては、前のカメラより「艶」が違う気がします。
画質なんてある一定までいってしまえば早々わかるものでもない。
ましてや、今小さなコンデジでさえいい物が撮れる時代です。
でも、一眼レフで撮った写真はなんか艶っぽいんですよ。不思議なことに。

僕は超絶素人なので、構図も基本的なことしかわからないし、カメラも使いこなせていません。けど素人目から見てもわかる良さはある。と。
しかし、先日酒を酌み交わした友人はこんなことを言っていました。

一眼レフの艶は人工的なのか

そう。その飲んだ友人は「フィルムカメラ派」でした。友人曰く、「一眼レフの艶は人工的な気がする」と言っており、NIKONだのCanonだのいう次元の話をしていた僕が少し気恥ずかしくなる感じでした。

フィルムカメラといっても、あまりイメージが湧かないかもしれませんが、フィルムカメラを使って今活躍している若手写真家で、「奥山由之」さんという方がいるので、一度写真を見てみて下さい。
こちらからどうぞ。作品

みると分かる通り、なんか質感がたしかに人間味があるような、そんな気がしてきます。

太宰治の斜陽の中に、「おにぎりは人の手で作るからおいしい」的な言葉があったような気がしますが(間違っていたらすいません)
なんかフィルムカメラを見てると、オーガニックな感じというか、ちゃんと瞬間を切り取っている感があります。
その場の空気ごとごっそり切り取っている感じが。

というわけで、一眼レフを購入したばかりですが、フィルムカメラも欲しくなってくるという衝動にかられてしまってます。

うーーーん。世の中掘れば掘るほど面白いもんが転がっていて、生きてるうちに味わえ尽くせるか心配ですわ。

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May 3, 2015

新政酒造 特別頒布会2015 ~素晴らしき酒米の世界Ⅱ~を飲んで

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皆様こんにちは。

今回は日本酒のお話です。

つい先日、新政酒造の特別頒布会2015の第1発目を手に入れたので少し飲んでの感想。

蔵は【新政酒造】です。巷では話題になっているそうですが、話題だろうがなんだろうが旨いかどうかでしょう。

飲んでみて

正直、めちゃくちゃ旨いです。顎外れそうになりました。

ご存知14代とはまた別物の味で、初めて14代を飲んだ時と同じ位の衝撃を感じました。
ピンクラベル(改良信交)は舌の上で転がすと「微炭酸」的な味わいで濃いです。酸味も強い
一方で、青ラベル(美山錦)はすっきり。しかし少し雑味あり。その雑味がたまらないです。

気になる方はぜひググって見てください。蔵元の御曹司の経歴もおもしろいです。

今回下記に書くのは、その特別頒布会の酒に付いていた【酒造好適米について】から完全引用です。

本当、この情報を知っているか否かで、日本酒の楽しみ方にはっきり違いが出るものだと思っています。

ではどうぞ。

酒米とは?

酒米好適米とは酒造専用に用いられる米で、いわゆる「酒米」というものです。
酒造に、有利な様々な特徴を、待っており、栽培も難しく採取量も少ないため、一般食用米よりはるかに値段が高いのが特徴です。

コシヒカリ、ササニシキ、あきたこまちなど、一般の食べる米も酒造りに用いられますが、高品質な日本酒を作る際には昔から「酒米」が使われるのです。

では酒米の特徴とはなんでしょうか?

1.大きい

「酒米」は、一般の食用米と比べて、様々な特性を持っています。第一の特徴は、食用米と比べてたいへん大きいということです

これはなぜでしょうか?
まず、日本酒造りにおいては、米をよく削ります。
食用米の精米歩合は92%〜88%ですが、日本酒の造りでは一般的には、最低でも70〜75%は磨くことが求められます。
【米の外層部にはタンパク質や、灰分、油脂分が、多いのです。食べる分には旨味になりすが、酒造りにおいては、逆の効果をもたらします。「発酵過程」を経ることで、これらの成分は雑味になってしまうのです。】

高級酒ともなると、精米歩合が40%〜30%ともなります。ほとんど米の芯の部分だけを用いるわけですが、こうなると、もともと大きい米でないと、何も残らないことになってしまいます。そういうわけで、酒米はまずは、姿形が大きいことが求められます。

2.タンパク質が少ない、粘らない

次に、米の成分組成において、タンパク質の含有量が低いことが求められます。
前述のようにタンパク質は、雑味のもとになっしまうからです。
栽培方法でも、タンパク質含有量は減らすことができますが、もともと米の性質として蓄えにくいものが選抜されてしまいます。
また、蒸した後、粘らずに手にくっつかない弾力のある米が、良いとされています。
これを『サバケの良い米』といいます。

粘ると、あらゆる場面で作業性が悪くなりますし、特に麹作りで良いものができません。
麹作りでは、ばらばらと一粒一粒の米が離れていないと、効率良く麹菌(カビの一種)が着生、繁殖できないのです。

3.心白がある

心白〈しんぱく〉があるとは、米の中心部分に、少々空隙があって、完全にでんぷんが詰まっていないことです。
つまり、中心部分の構造が、若干崩壊しているほうが良いのです。
このため酒米は、真ん中がぼんやり白くなっているのですが、この部分をいわゆる「心白」といいます。

心白の利点とは、なんなのでしょうか?

心白があると、麹を作る際、麹菌の菌糸が米の内部まで容易に侵入でき、内部にしっかり繁殖することで、麹の品質が向上するのです。
こういうことで昔から、コストの問題で全量酒米を使うことができなくても、最低、麹だけには「酒米」を使用する例が一般的です。

しかし、この「心白」はたいへん脆い部分ですから、大きすぎたりちゃんと真ん中に入っていないと、精米のときに割れやすいのです。

有名な酒米である、「山田錦」という兵庫の米は、心白が丸い形でなく、線状に入るという非常に珍しい特長を持っています。

このため、かなり磨き込んでも容易に割れないのです。

まとめ

酒米は、以上のような珍しい特徴を持つもので、食用米とはまったく性質の異なるものです。栽培の難しさも、食用米とは比較になりません。

まず米が大粒ですから、稲自体の背も高いのです。このため、非常に倒れやすく、神経を使います。

籾が穂から離れやすい(脱粒性のある)種もありますし、そもそもタンパク質が少なくなるように肥料をかなり制限して栽培しますから、輪をかけて採取量はのぞめません。

どんな農家でも栽培ができるわけではないのです
それでも、優れた酒造りには必須の存在ですから、昔から、酒蔵はよりよい酒米を求めて奔走してきました。
現在も、より優れた味わいを表現する酒米の開発は続けれておりますし、栽培が途絶えた品種の復活なども行われています。

新旧の酒米のそれぞれの個性が、これからも日本酒を、より彩り豊かなものにしていくのは間違いないことでしょう。

引用終わり

引用元 新政酒造 頒布会資料より。

上記も踏まえて、昨今の日本酒ブームで飲む人が多くなったからこそ、「日本酒」というプロダクトに対しての
リスペクトも忘れてはいけないと思います。
本当に、このような「ものづくり」から学べることはすごく多いと思いますし、無くしてはいけないものなんだなと強く感じます。

「文化」は人が創り、人が受け継いでいく。

それを理解するには、PCの前に座っていないで、「外」に出て体験することが大事だと思います。

「味」は言葉では伝えられない。それはもちろん「経験」だからです。

というわけで、日本ではGW中ですが、PCの前に座ってこれを書いてる僕も、お外に出て参ります。

石渡航平

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Apr 9, 2015

未知の世界を覗く~エロと芸術の境界線~

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写真はオーストラリアはNEWTOWN いい雰囲気

芸術と一口に言いましても沢山のことがあると思います。

現代美術、古典、新鋭•••種類がありすぎてわからないくらい。

しかし、今回は芸術的なエロについてふざけつつ真面目に書き記していきたい所存である。

違いのわかる男はどれくらいいんの?

そうハムの人。です。
違いのわかる男•••僕も今まで多くの人と接して来ましたが、本当違いのわかる男は数えるくらいしか出会ったことないです。

僕自身、違いのわからない男ですからなんとも言えないんですけど。

すべてのことに言えると思うんですけど、男たるもの「エロ」が絡んでくる際に違いのわかる男がどれほど残るのか。という点です。

例えば美術、ヨーロッパなので書かれた中世の絵などはあれは見る人が見なくてもわかるんですね。例え女の人が裸でいてもなんの違和感もなく見れる。
ふむ。これは芸術•••だ!と。そう感じれるのです。

しかーし!現代ともなるとそうも行きません。
おもくそ主観ですが、現代の芸術的なエロ
これ、どうしても芸術に見えなくて困ってます。

前に前衛的美術家が、全裸アートしてました。

まず自分の身体にMessageを書いて街を全裸で歩く。

その次のパフォーマンスが卵を自分の×××に入れて生みだすというパフォーマンス。

いやぁ、ぶったまげた。しかも美人。

ちなみにMilo Moireさんです。
気になる方はYouTubeへレッツゴー。

これを見て僕が思ったのは、「俺は未熟者だ」ということだったわけです。

これは恐らく見る人が見れば芸術なのだろう。しかし、僕は「あーなんて美人なんだ」とか
「あーなんてスタイルがいいんだ」なんて考えていたわけです。
アートだと頭では理解をしていてもですね、ジョジョ風に言えば

「わかったよ、プロシュート兄ィ!!エッチなアートが!「身体」でなく「心」で理解 できなかった!」

まぁできなかったんですね。これならブチャラティも余裕で勝てますね。

そしてここには、邪心があるわけですね。それ自体の芸術を考えるわけではなく、「女性」のことについて考えているわけですから。

境界線がわからない

どこからが芸術なのか。という線引きはエロをふくんでいなくてもとても難しい問題なんだなと思います。

スポーツでいうとアイススケートですね。
周りにスケートやっている友達が割といるので興味を持ってテレビでも見たりはしてます。

しかし、採点の方式が全くわからん。

確かにトリプルアクセルとか素人から見て「大技」とされているものを見るとおーこれはいい点数だ!とかは思います。
しかし、芸術点となると本当にわからない。

そもそもテレビで放映されるような有名な大会に出る人はやはり、それなりに凄い人たちですから。みんな美しく見える。

そんな中にエロが入ってくるとマジでわからなくなるわけです。

これは絵にも言えるし、「芸術」とされているものに全てに言えるのではないかなと。

僕は美術館に行くのが好き、というか、この深い「芸術」というのに触れて理解を深めようと思っているため行きます。

しかしです、どうしてもわからないものもある。
以前行った「アメリカンポップアート展」確か六本木でやってたのですがこれがさっぱりわからなかった•••。

ここで感じるのは、本当に奥が深いものがこの世の中にはたくさんあるのだなと。

そして、感じる部分の幅も人それぞれであり千差万別なんだなと。

そんな芸術初心者の僕がすげーと思ったのは最近のやつだと
井上雄彦とガウディ展でした。
なにがすごいってもう本当”全て”というか。

でも、この井上雄彦氏の絵を見てもすごくないと感じる人もいる。

うーん。これって至る所にある現象ですね。
芸術に限らず、自分が見て凄いと感じるものが他人から見たら凄くないと感じられてしまう。

そこに「表現」の難しさがあって得意不得意もあるのだと。

表現方法

僕は文章が好きです。というか、絵も下手だし、音楽も挫折というか、心に響く歌を創りたかったけど創れなかったです。

僕が文章が好きだからこそ、この表現の中にある受け手と伝え手の「谷間」を埋めるのがそれを紹介する「編集者」なのではないか。そんな気もしてくるんです。

編集は要は届かせるように集めて編み上げる。

書くことは、思考の奥底に沈殿した「泥」を叩いて浮かび上がらせて、その視界の悪い中でその「泥」を集め上げ形にする。

そのスキルは決して無駄にはならないのかなとも思います。

というわけで、僕は転職して編集者になりました。
もっとこの世にあるいい物や人生を楽しめるもの。そして経験を共有するために。

そして何より、僕は自分に誇れるものはないです。日本でいう「学歴」っていうのもありません。

でもそんな日本という島国でいう「世間的アホ」が自分の可能性を試す。

そんなことしたっていいじゃないか。

やれば出来るってことを自分の身を持って証明させることで、説得力を持たせられるように。

石渡航平

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Mar 26, 2015

Don`t follow the crowd

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【写真は先日東京を離れて行った長野の上林温泉、塵表閣本店の部屋から。
年1のペースくるようになりました。ここはいいお宿です。】

僕は服が好きです。むかしっから服が好きで好きで堪らなかった。

そう、あれは中学生のとき、チャリでアメ横にスニーカーを買いに行きました。

少ない小遣いを握りしめ買ったのは「スーパースター」というadidasのスニーカー。

それからドンドン服にのめり込み、高校の時には月いくら使ったかわからないくらいの金額を服に使っていました。

そして今、もう世間では「大人」と言われる年齢になり、僕のオシャレ論も少しずつ変化をしていったのであります。

職人魂と愛すべきプロダクト

僕は基本、こだわりぬいたプロダクトが大好きです。眼鏡も国産の、セルロイドを使ったメガネしかつけないですし、デニムもmade in Japan の物しか履かないです。
ティシャツはUネックかVネックの無地の物しか着ません。
アクセサリーはガルニというところが好きでそこのしかつけていません。というか、基本的に僕が着る服は「日本で造られたもの」がほぼ全部を占めています。

なんでかっていうと、やはり日本人という民族の体型は欧米の人たちとは違うからです。

足の長さも違う。手の長さも違う。

だからこそ、日本で作られた日本人向けのプロダクトが僕は好きだし一番フィットする。
シルエットも美しくなる。

巷ではハイブランドと言われる所の服を着る人が多いです。ヴィトンやサンローラン、プラダ、ジョンガリアーノ、マルタンマルジェラなどなど。

僕も以前はそんな感じのを着てた時期もありました。背伸びをして買っていたわけですね。
しかしまぁ、その時の格好を思い出すと全然かっこよくないんですわ。これがね。不思議なことに。

理由としては、完全に「服に着られてる」と言いますか、そんな感じだったんでしょう。

オシャレとは何か

いつも僕は自問自答をしていました。
オシャレってなんなのだろうか?流行りの服を着ることだろうか、女の子からモテる服を着ることだろうか、なんて。

でも、僕はどれにも当てはまらなかったんですね。

僕は服、オシャレを「自己表現」だと思っていますし、
また別の見方をすれば気持ちいいからオシャレをしてるんですね。

例えばふと、おろしたての靴を履くだけで少しいい気持ちで外に出れたりとか、ビシッとキメるとその日のテンションが少し上がったりとか。

勘違いして欲しくないのは、僕は今、「見栄」のためにオシャレをしてるわけではないということ。少なからず、日本にはそんな風潮があるというか、「金持ってる」アピールをするために服を着ている人もいますが、実際「超ダサい」です。それが自己表現というならば、それはそれですが、そんなことは他のところで示せばいいんではないか。

そこに愛はあるのかい?

自分が気持ちいいからやる。そこに尽きるんですよね。
そして、所詮服なんてそうあるべきだ。と。

各々の好みがあって、好きな趣味があって。
だからこそオシャレは趣味なんです。
それ以上でもそれ以下でもない

プロデュースして欲しいとか、なんか変えたい!なんてことを言われたら僕も色々と口だしますし、予算を2万円くらい用意してくれれば世間でオシャレと言われるくらいの所まではプロデュース出来ます。

でも、問題はそこから先であって。

そこで目覚めて「服っておもしれー」と思えればそんな人は自分でドンドンオシャレになっていくものです。

そこには愛が生まれるからね。

好きか嫌いか

結局、そこなんです。というか、ほぼ全てのモノが好きか嫌いかになるんですよね。

自分のお気に入りの服を着ているときはとても気分がいいもんです。

他人にどう言われてもいいもんはいいんです。

だから気分のよくなるツールなんですよね。

だからこそ、真似る必要なんぞなく、雑誌を買いあさり流行りを追う必要もなく、自分が気持ちいと思えるからこそ追い求めたり、なんというか「自分がここにいる」という感覚を感じられればいーんですよね。

“Don’t follow the crowd”
って事です。

服の中に光るバックグラウンド

というわけで、結論が出てしまいましたがもうちょっと書きます。
趣味として、服って割とその人の好きなものがはっきり見えてくることが多くて、だから僕は人のファッション見るの好きなんです。

元バンドやってた人がギターのプリントのあるTシャツ着てたりとか、好きなバンドのTシャツ着てたりとか。
あーこの人は音楽好きなんだなーなんて思ったり、

あーこの人の服装はあの有名人を意識してんだなー。あの人が、好きってことは洋楽好きなんかな?
とか

アメリカのビンデージTシャツとか着てたら、あーこの人はアメカジ好きなんだ。ってことは、好きなカルチャーはここらへんでこんな話すると面白い話聞けそうだなー
なんて。

無限に思うことはあるのですが、それって面白くないですか?

なんとなくバックグラウンドが透けて見えてくるというか。

楽しみ方は無限にあるからこそ、僕は服を愛しているし、趣味でもあるのかななんて。

というか、己を突き詰めていけば、自然とマイノリティーになるんですよね。

恐らく、きっと、何事も。

石渡航平

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Mar 14, 2015

音楽話題 ~最近の3枚~

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ここ最近の三枚

こんにちは。今回は久々の音楽談義。
ここ最近聞いてるCDについて、個人的な見解をお送りいたします。

1. CHASING YESTERDAY
Noel Gallagher’s High Flying Birds

oasisのアニキ、ノエルのソロ二枚目。
とりあえず、4月の武道館での来日公演に行きます!しかし、それはこのアルバム発売前に買ってしまったので、このアルバムがどれだけいいかが勝負になってたのであります。

蓋を開けてみれば、なかなかの出来栄え。しかしファーストから激変したかというとそうでもない。まぁ、これがノエル節というのならそれはそれですが、純粋にUKロックのルーツから導かれた音楽ということは間違いなさそうです。

この人は新しい扉を開けるというより、開けないでそのままの場所から音楽を鳴らしているのが一番いいと思うし、完成されてる。

革新的なのは若い衆に任せて、俺は俺の音楽があっから、好きなら聞けばいいし、嫌いなら他行ってくれ。
という、日本でいう老舗の割烹ミュージシャンですね。
そんな姿勢が好きです。ノエルのアニキ。

2.Story tone
Neil Young

去年出したニールヤングの二枚組のアルバムです。1枚目がソロバージョン、2枚目がオーケストラバージョン。

まぁこの人のすべてのアルバムを聴くのはちょっと気合いが必要です。
なんせ、デビューしてから50年?くらい経っておりアルバムはかなり多い。

ということで一番最近に出したこのアルバムは非常に良いアルバムです。
なんだろう、この歳になったからこそ出せるからりと乾いてるギターと暖かい歌声が砂漠とオアシスを交互に見せられてるみたいで心地よいです。ピアノもいい。

この人の経歴は長すぎてここでは書ききれないですが、9.11の後ジョンレノンの「イマジン」が自粛になっている時に追悼番組でイマジン歌うような人です。僕は好き。

3.Black messiah
D’Angelo

D’Angelo名義では15年ぶりの今作ここ最近のマジなベストワンです。
カニエさん超えてます。
僕の言葉じゃ表現できない奥深さにありふれたもので、完全に「新しい音楽」が始まったといっても過言ではない。
ブラックミュージックの奥深さ、歴史、全てが詰まっているし、さらにその深くまでリーチしている。
また、R&BとHIPHOPという音楽性は似て非なるものだと自分では感じているけど、このアルバムで交わり、そして1つの線になってしまったと思う。
そこを結合させ、「深化」させたのがこのアルバム。

だからこそ、ジャンルわけについては否定派ですが、それを恐れず言うのならば、「新しいジャンル」ができたと言っても差し支えないと思います。

そして、これアナログ盤で聞いたらさらに凄くなるんじゃないかなと思ってます。

イヤホンで聞くのもまたいいんですけどね。
ちなみにイヤホンはUEのTRIPLE.Fi 10を使ってます。サブでmonster時代のBeats持ってますがほとんど使ってません。ていうか、正直今のBeatsはファッション用としか思えない。ヒップホップ聴くにはいいですが、イヤホンとしてはあまり良くないですね。
これを話しだすと長くなるのでイヤホン話はまた今度。

とりあえず、D’Angelo是非聞いてみてください。
またYouTubeのリンク貼っときます。
D’Angelo BLACK MESSIAH

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Mar 8, 2015

デジタル与太話 電子機器周辺事情とこの頃

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皆様こんにちは。

今回は僕のガジェット周辺の記事について書きたいと思います。しかし、こんなことに興味あるのかどうなのかかなり怪しいところなのですが•••。

ガジェットは好き。形から入るタイプ。こう言うとめちゃくちゃだめに聞こえるから恐ろしい。

とりあえず僕のITリテラシーを可視化してみましょう。、

1.このサイトはWordpress でサーバー借りてやってます。PodcastもWordpress のプラグインをぶち込んでやってます。
ただ、なんかにぶち当たった時は調べまくらないとわからない。とりあえずHTMLは打てない。
そしてこのサイト始めるまではサーバーって何?状態。恐ろしい

2.これを書くのはWordpressのテキスト。
h1とかbrとかはライターを始めてから知ったものばかり。
ハイパーリンクとかもまったく知らずに。編集の人にしごかれ覚えました。

3.PC周辺は完全にApple。メインはMacbookpro Retina13 メモリ16GB
スマホはiPhone6、タブレットはiPad miniRetinaとKindle。
ここまで固めるとクラウドサービスをあまり使わなくなる。メモは勝手に同期されてるし、まぁiCloudは使いますが。あとはGoogleドライブとDropboxくらいか。
evernoteはイマイチまだ使い方わかってないです。

4.MessageアプリはSlackとFacebookMessagerとLINEとカカオトーク。
Slackは完全に仕事用です。他のは完全にプライベート。
メールは基本Gmailを二つ。あとはYahooとBIGLOBEとiCloud。しかしGmail以外はほぼ捨てアカです。Gmailの片方の方もオーストラリアのApp Store用なので似たようなもの。

5.ネット環境
家はAirMacExpress、5gHz帯は未対応。タブレットはBIGLOBESIM。2GBで月々980円くらい。
安いぜ。
iPhoneはau(旧プラン)、あと海外用のシムフリー携帯(Nokia)

6.mailとか諸々スキル
題名の大事さ、CC BCCの使い方はわかっている。しかし完全に使いこなせているのかというと微妙。というか、Messageアプリのせいでここらの常識が欠如し始めてるといっても過言ではないのかも。

7.ニュース
ぼくはテレビをほぼ見ません。一日20分見るか見ないか。
なので、必然的に情報取得はインターネットからです。

まず、フリップボードというアプリ。これはいいです。でもiPhoneで見るもんじゃない。タブレットでみるもんですね。新聞読む代わりにフリップボードで朝はニュースをチェック。

その時に聴いてるのはPodcastのRebuildです。
これはニュースでもなんでもないんですが、謎のわからない人たち(エンジニア会では恐らく凄く有名な人達)がひたすらテック系のネタについて語るという面白Podcast。

あとはBlog系をいくつか見て朝は終わり。

というわけで僕の自己採点ITリテラシーは低です。

立ち位置

上記が序文。ここからが本題です。

ついこの前、若者(10代)と話す機会がありまして、ひょんなことからネット系の話題に。

その時その人が言った言葉が「ブラウザ?インターネットですよね?ブラウザはインターネットの事じゃないの?
みたいなこと言ってたんでぶったまげました。

このITリテラシーの低い僕でもブラウザはわかる。IEとかChromeとかFirefoxとかSafariなどなど。

しかし今の子はわからん。

よくよく、考えてみればその気持ちもわかるんですね。
ぶったまげたけど、ふむふむと思った。

そりゃパソコン持ってなくてスマホだけで生活してたらiPhoneだったらSafari、AndroidだったらChromeとかですもん。別段意識しないでいい。

というか、逆にそこを意識しすぎちゃうシステムが多すぎるのかもしれないと。

例えば企業が使う適性検査みたいなもんはほとんどIEしかまともに開けない事もよくある。

それってどうなんですかね。

逆にネット側から歩み寄らないと距離は深まるばかりなのかもしれないかなと思ったりもします。

でも、最低限の知識は必要だとも思います。

これから(今も)ネット中心の世の中になっていくにあたって、両者が離れていくのはどうなんだろうかと。

いや、正確には離れてはいない、むしろスマホなどの普及によって近づいているのだけどマクロ的な目線で見ると離れて行ってる風に見えたりもする。

非常に難しいとこなんだなと。

これが、本当上記のブラウザ何?状態がよく表している現象なんじゃないかと。

最近Googleも発表してましたけど、サイト自体がスマホ対応していないと、これからは検索順位が下がると。

なるほど。
確かに僕のBlogもアナリティクスでみるとほぼ、80%はスマホ、タブレットから見られてます。

というか、僕の周りを見渡してもパソコンを持ってない人が多い。
自分的にはこのスマホの画面でYouTubeとか長いBlogとかは読みたくない。読むならタブレットです。最低でも6.4インチは欲しい。

しかし、この「考え方」自体が古いのかもしれない。
そして、オーストラリアに住んでた時もスマホ見ると異様に画面がでかいのが多かったです。
iPhone6plusもgalaxyもXperiaも画面がでかい。

そのことから考えるに今の流れ的にはPC使わずバックアップはクラウドにしてネットサーフィンはデカイスマホで•••って感じなのでしょうね。

それを如実に表すGoogleのスマホ対応での検索順位のつけ方。

理にかなってる気がしなくもない。

情報取得という観点

ということは、どこでも新しい情報が仕入れられて見られるのは今後どうしてもスマホからということにならざるおえない。

だからもうブラウザとかの垣根ってただ、邪魔なだけになってるような気もするんですね。

だからブラウザ自体の意味を知らないって事も、流れをそうしてるから仕方がない。ただ、企業が途中でせき止めて•••というなんともな矛盾が今あると。

僕の素人的意見ですが。。

その中で生きてくにはやっぱり多少の知識はないとダメですよね。

受け身じゃなくて、取りにいく姿勢じゃないと本当にポツンと置いていかれてしまうことになるのかなと。

いつもアンテナを張って尖らせていないとこのままじゃマズイし、受け身になって降ってくる情報自体がロクなものがないと思うんで。

だから、ガンガン情報ゲットして、そこから自分の意見を導いたり、考えることがこれからもっと重要になってくるんじゃないかと思うのでした。

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Mar 2, 2015

Wake up ~前へ進むのが楽しい理由~

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なぜ前に進むことは楽しいのかを考える

ということで、なぜ前に進む=成長をすることが楽しいんでしょうか。

今回はそのことについてゆっくりと考えていきたい次第でございます。

生きるということ

まず、生きる。ということについて、僕らが何故この世に産まれたか?
その疑問には多くの答えがありますし、ないのかもしれません。

しかし、なんというか「前に進む」為に産まれてきたんじゃないのかなと思う時があるんですよね。

例えば、何かに「合格」した時、自分の望む場所に「入れた」時、自分のやりたかったことをやっている「自分を感じている」時。

これって共通して言えるのは成長を実感できている瞬間なのではないのかなと思うんですね。

昔から憧れているものがあって、それに向かって少しずつ前に進んできて、どこかでそれが結実する。

そしてそれは単純に「すげー嬉しい」とか「すげー楽しい」という感情が生まれる瞬間でもあるわけですよね?

だからこそ、産まれたからには前に進んでいくしかねーだろって思う理由でもあるわけです。

意味のない時間

そして、更に考えます。
「この世に意味のないことはない」とよく耳にする言葉。

僕もこれ最初はめちゃくちゃ共感しました。
人間どこかで、「名言本」みたいたものにハマる瞬間があるとおもいます。(僕だけだったら申し訳ないです•••)それって簡単にその辺のエッセンスを抽出できるからだと思うんですよね。

なんというか、それこそ前回引用させてもらった司馬遼太郎さんの作品には多くの良い言葉、名言が出てくるわけです。

でも、名言はあの長いストーリーを読み進んで行かないとでてこない。

それには多少の時間と労力が必要だと。
それを端折って端折って出来たのが「名言本」なんだと思うんですよね。

それはそれで確かに効率はいいし、何かしら学べることがあるから否定はしません。むしろ僕自身がっつりハマっていた時期がある位ですから。

しかし、その「近道」を考える事自体が前に進むことの妨げになっているんじゃないかなと思うんですね。

正直、今まで生きてきて近道なんかに出会ったことがない。

何かをして、その幸せの瞬間を得るにあたり様々な過ぎ去ってきたものが折り重なって出来ているということが実感としてあります。

だから名言本でエッセンスを抽出したとしても、実際本質的な部分は見えてなかったことが多かったです。

そのことから察するに、意味のない時間とは「近道」を考えている瞬間なんじゃないかなと思いました。

新しい事をしている自分

もうちょい掘ります。

冒頭に書いた、「前に進む為に産まれてきた」のなら、恐らく一番面白いのは挙げた中でも「新しい事をしている自分」なんじゃないかと。

新しい事をやるというのは勇気が必要です。
新しい事をやるというのは過去との決別が必要な時もあります。
何かを捨てなきゃ何かは持てない。

でもそれは一番生きているということを感じられる瞬間なんじゃないかなと思います。

だって単純に己の可能性に対してアプローチしていくという行為は、深い井戸の中から得体の知れぬ何かを引っ張り上げるような感覚に似てるからだと。

その引っ張り上げるものが、ひのきのぼうなのか、錆び付いた剣なのかわからない。

でも、その錆び付いた剣が「伝説の剣」になることもあると思います。

だからいつもその井戸に手を突っ込んで探していなきゃならないと思うんですね。

その手を突っ込む事自体が、新しいことに挑戦するコト=成長なんじゃないかなと。

そして、その突っ込む技術というかそのような「生き様」がビジネスになったりもするんじゃないかと。

それは怖いし、危ない。
もしかしたら奈落へ堕ちてしまうかもしれない。
でも、何が出てくるかわからない。
だから「楽しい」

これは僕の実体験としてあります。

僕自身も、もっと心の奥にある井戸の中から、いろんなもの引っ張り上げていきたいとおもう今日この頃なのでした。

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