Jan 26, 2015

country side


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本日は田舎論なるものを書き記したいと思ふ。

そもそも僕は東京生まれ東京育ち、悪そうな奴は大体友達ではない。

そんな感じで東京に生を受け、ここで25年間暮らしてきた。

そして両親共々東京出身だから自分には田舎という物がない。

だからこそ、昔から旅行に連れて行ってもらっていて、それが、旅好きの原体験なんだろう。

そこで、本当の田舎というものがない自分が、帰省もクソもなかった子供が、本気だして田舎について考えて見たいと思ふ。

そもそも、夏休み田舎に帰省する友達が羨ましかった。
大量のカブトムシやクワガタを捕まえている子供が。
僕はカブトムシはイトーヨーカ堂で売っててなかなかお目にかかれない物だと思っていたし、クワガタもそうだ。

でも両親が沢山旅行に連れて行ってくれたおかけで寂しい事はなかった。

日本の田舎っていうのはとにかく緑が綺麗だ。

このうだるような湿気が生み出す幻想的な景色はきっと、日本独特の物かなとも思う。

霞む というものがこんなに美しいものだとは思わなかった。

シドニーで暮らしていた頃、乾燥しているのか、遠くまでよく見えた。
それはそれで綺麗だったけれど、なんか自分的にはこの霞がかった景色は大好きだ。

見えない。という美しさもあるのだろうか。
見える。という美しさもあるのだろうか。

でも見えづらい。という美しさも在るのなら其れが日本に当てはまるのだろう。

景色同様、日本の未来も見えづらいのだけれど。

僕が車の免許をとって練習のため、恐山に向けて下道で向かったことがある。

やく千キロの長い道程だったけれど、全然苦ではなかった。(小岩井農場で引き返そうと思ったが)

其処で見た本当の田舎というものが、まだ脳裏から焼き付いて剥がれない。

緑は人間と近い物だとそれまであまり思わなかった。

でも日本の田舎にはしっかり緑が根付いていた。

東京にある、申し訳程度にある緑と、無理やり植えた杉の木。
それとは全然違う緑が広がっていた。

そのせいなのか、人間も大らかで優しい人も多かった。排他的な人もいるのだろうが、それは住んでみないとわからない。
でも、東京から下道できた18歳の若造が珍しかったのか結構な親切を受けた気がする。

一極化集中で、若者は皆東京に出てくる。

中部は名古屋
関西は大阪
九州は福岡、

そして、この先過疎化が進み無人の村やはたまた街も出てくるであろう。

その土地土地に根付く信仰や、文化、郷土料理など、そのものたちがいつのまにか消えてしまうのだろう。

国単位で考えると大きい損失ではないのだろうか。

古来からある独自の文化が消えていき、台頭するメディアが写し出す日本になろうと若者は都会民という皮を被らされる。

そしてそれが、日本だとメディアはいう。

皮を被っていることも気づかずに。

民間伝承という、少しオカルトだが非常に面白い信仰や伝説などが日本には沢山ある。

思うに、日本の幽霊が一番怖いのも、この湿気と、霞みがあるからかもしれない。

この緑と日本の田舎、そして人を再確認しに、明日から能登へ旅立とうと思う。

海外から帰ってきて見た日本は少しがっかりだった。

でも、田舎は自分の目にはどう映るのだろうか。

今迄見えなかった物が見えてくるのだろうか。

観光地化される日本の田舎とは少し違う、何かが能登にはあるような気がする。

去年訪ねた時に思ったことだ。

新しい風を受けに行って参ります。

石渡航平

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